夏の終わりのミュンヘン〜ザルツブルグを移動する

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所用で東京からオーストリアのザルツブルクに出向くことになった。旅程をプランしている内に、首都ウィーン経由の乗り継ぎフライトより、隣国ドイツ南部のミュンヘンに飛び、そこから鉄道で移動する方がコストがかからず、スケジュールも柔軟に組めることが分かった。さすが移動の自由が保障され、地上交通が充実するヨーロッパである。迷うことなくドイツ経由のルートを選択した結果、旅は多様な移動手段があることの楽しさと重要性と再確認する機会となった。以下はミュンヘン国際空港からサルツブルク市街と国際空港への陸路の移動の記録である。

UAEのアブダビ国際空港からミュンヘン国際空港に、エティハド航空のフライトで到着する。エアバスA330-200の席を埋めていた約260人の乗客のほぼ全員が向かうのは、第1ターミナルの入国審査場の一つ。ホールは驚くほど狭く、さらに係官が入るブースが3つしかない。完全にキャパシティーオーバーである。狭い空間を埋め尽くす乗客はドイツに帰って来たと思われるヨーロッパ人よりも、世界各地から中東の巨大ハブ、アブダビを経由してヨーロッパ大陸を目指す多種多様な人種の人たちが主流だ。一人一人の旅の歩みを進めたいと焦る気持ちが、それぞれの異なる行動パターン、マナー、民度などと交錯し盛大なカオスを生み出している。もちろん私もそんな阿鼻叫喚に埋もれる一人だ。

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故障して停止した満員のエレベータに閉じ込められたような状態で待つこと小1時間。ようやく自分に順番がやってきたと審査カウンターを目前に安堵していると、突然背後から南アジア人の風貌のおよそ20人の団体が平然と割り込んで来る。予想外の展開に唖然としている間に、自分の位置は順番待ちの列(らしきもの)の21番目以降に後退している。こんな無秩序が今どきEUの主要国際空港で起きるとは。いや、入国を完了するまでは、まだ先進国ドイツではないということか。これが自由ヨーロッパへ入るための試練なのだろうか、などと独りごちながら立ちつくす。

ようやく自分の入国審査が始まると、ドイツの審査官はもはや疲労の限界を超えているようで、うんざり顔すらも通り越し、完全に無気力・無表情になっている。そして私に向かって「(日本人なら)次回は東京からの直行便で第2ターミナルに着くのが賢明だ」などと、冗談とも本気ともつかないことをつぶやきながらパスポートを返してくれる。なるほど、世界のあらゆる場所で人の移動は拡大を続けていて、そのうねりの波及する各所にこのようなある種の歪みが生まれているのかもしれない。ネット情報だけでは知ることのできない世界の不均質さを実感して、ドイツ上陸である。

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イミグレーションホールの混乱がまるで嘘のように、ターミナルビルはどこも整然としており、あらゆるものがコンパクトにそして精緻に設計されているように見える。ミュンヘン国際空港はヨーロッパを代表する歴史のある空港の一つでありながら、その徹底した機能性とデザインへの注力がとても印象的だ。入国審査官が言うように日本からの直行便もあるので、そんな言わば「ドイツらしい」かっちりとした空気感をご存知の読者も多いだろう。第1・第2両ターミナルの間には、商業施設・サービス施設・鉄道駅などがある「エアポートセンター」と、どこか巨大な鉄道駅の思わせる吹き抜けの「広場」がある。この広場では、ミュンヘンには欠かせないビアガーデンが営業するほか、年末のシーズンにはクリスマスマーケットも大々的に開催されるという。空港であって空港だけでない、旅客以外の誰もが楽しめる空港施設の先駆けの一つと言えるが、必要以上に商業的・イベント的でないところが大人のヨーロッパのテーストだろう。この空港は多くの人にとって好感度が高そうだ。私自身、ミュンヘンを上陸地にした選択は間違っていなかったと確信する。

空港から市内へ向かう鉄道はエアポートセンターの地下駅に発着する。DB(ドイツ国鉄「ドイチェ・バーン」の略)の乗車券は英語対応の自動販売機で現金あるいはクレジットカードで簡単に買える。機能性に富んだグラフィカルな路線図も分かりやすく、日本の鉄道に乗り慣れた人ならほぼ迷うことなく利用できるだろう。ミュンヘン中央駅(ハウプトバーンホフ)までの所要時間は約45分。空港は中心部から30キロ離れているが、実際に移動してもその距離をほとんど意識することがない。あっという間に到着する中央駅はいわゆるヨーロッパの鉄道ターミナル(終着駅)の雰囲気である。駅全体は地下ホームも数多くある近代的な建造物だが、メーンのプラットホームが並ぶ空間は鉄骨で組まれた巨大な屋根に覆われ、伝統的な鉄路の終着地としての風情が漂う。もちろん各ホームに停車する車両に表示されている行き先はドイツ国内ばかりか、フランスやスイスを始めとするヨーロッパ全域のさまざまな都市である。

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鉄道駅は賑わいが止むことはない。ここではビジネスマンからバックパッカーまであらゆるタイプの旅行者が思い思いに自分の移動の拠点として時間を過ごしている。ヨーロッパでは空港ターミナルと鉄道駅の空気感がとても似通っているように思う。空港が鉄道駅のようなのか、鉄道駅が空港のようになっているのか。交通機関そのものや手段は異なるが、人々の移動のための拠点としての機能と利便性が絞り込まれ、長年多くの人たちに使いこなされ洗練され続けている点に、多くの共通性があるのだろう。

発着する列車のデジタル案内表示は視認性が高く、そして秒単位で更新される情報は正確である。もちろん列車の定時運行率も同様に高いという。分刻みで出発する列車の中からザルツブルク行きの探し、ホームに向かう。車両に乗り込むが、行き先には「オーストリア」などとは書いてない。ミュンヘン〜ザルツブルク間は所要時間約2時間半。国際鉄道ではあるがこの地域の幹線で、1時間に数本の便数がある。まるで隣接県の都市への高速バスサービスのようだ。

定刻に発車する列車の車内にはローカルのビジネスパーソンや学生らと共に、世界各地から訪れていると思われる旅行者(私もだ)がいる。滑るように高速で走る列車は南ドイツの田園地帯を南東へ突き進み、あっという間にオーストリアに入る。途中、イミグレーション施設やパスポート・チェックはなく、車内のアナウンスもない。国境の概念などどこにも感じられない。オーストリア領内に入ったことに気づいたのは、車窓から見えた道路標識にザルツブルク中心部までの距離がわずか数キロであることが示されていたからだ。

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「国境がない」のは、ドイツとオーストリアがシェンゲン協定に加盟しているからである。イギリス・アイルランドなどを除くEU加盟国を中心にした各国が、域内の移動における国境検査を廃止する協定で、EU統合の実践的なシンボルの一つでもある。互いの国の領土からの移動の自由が許可され、協定加盟国同士では事実上の国境がない状態が実現している。日本など域外から到着する際には、最初の上陸地点で入国(入域)手続きをすれば、その後の協定域内の移動で国境検査はなくなる。それでもいくつかの国の陸路・空路の国境には形だけのイミグレーションブースや、パスポートをチラ見するだけの国境検査らしきものを時折見かけるが、ドイツ・オーストリア間の鉄路の移動においては実際に「何もない」のである。

その背景にはドイツとオーストリア両国の出入国管理の方針もあるが、そもそも現在の南ドイツのバイエルン州とオーストリアのザルツブルグ州が同じ歴史文化圏であることも大きいのだという。実際、ミュンヘンにはザルツブルクを郊外の古都のように感じている人もおり、ザルツブルクの人にとっても300キロ離れた首都ウィーンよりも140キロ先のミュンヘンの方が近隣の都会として馴染みが強いそうだ。相互の人と物の移動量は極めて多いという。この先は、では「国」とは何だ、という話になりそうだが、いずれにしろ旅行者の移動にとってはありがたい自由度である。

しかしながら、2015年9月からは、このような「何もない」国境で一時的に入国審査が実施された。数100万人以上とも推計されるシリアなどの紛争地域からの難民の大多数が、鉄道を含む陸路でヨーロッパに流入したためだ。EUと各国で長期的な難民政策が議論される一方、今そこに到達している難民への現実的な対応が必要との判断で、限定的にEU内での難民らの移動を制限したのだ(審査実施はシェンゲン協定の枠内の例外処置であるという)。自由であるはずの域内移動も、このように世界の情勢によって大きく変わる。陸路・空路に関わらず、移動の自由を享受できることはまさに幸運なことであることは、旅人としていつも心に刻んでおきたいものだ。

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そんなことを考えていると列車は静かにザルツブルク中央駅に到着した。駅舎は歴史ある中央ヨーロッパの鉄道駅の趣を残しつつ、デザインと機能性、利用者へのユーザビリティーとアメニティは現代ヨーロッパの空港ターミナルビルのそれに近い。ミュンヘン国際空港からわずか約3時間、一度の乗り換えで隣国の古都中心部に直接到着できるのは感激だ。国際線のフライトでウィーン国際空港に到着し、国内線でザルツブルク空港に乗り継ぐ旅程と比較しても、コスト・所要時間の両面でも遜色がない。二つの異なるルートはまさに成熟した旅行市場の選択肢と言えるだろう。

ザルツブルクはオーストリア・ザルツブルク州の州都で、その旧市街と歴史的建造物がユネスコ世界遺産に登録されている。ザルツは「塩」、ブルクは「砦」を意味し、市中を流れるザルツァッハ川からはかつて岩塩がヨーロッパ各地に送られ、街に莫大な富をもたらした。旧市街には中世から変わらぬ佇まいの石畳が続く。11世紀に建てられ、ほぼ完全な形で現存するヨーロッパ中世の要塞「ホーエンザルツブルク城」は街のどこからでもその荘厳な姿を見上げることができるほか、17世紀建立の「ミラベル宮殿」や紀元前に創設された「ノンベルク尼僧院」など、見どころは数え切れない。

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そんなザルツブルクの歴史的観光都市としての魅力は、ここが音楽家のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが1756年に生まれ25歳まで音楽活動を行った地であることで、世界の音楽家・愛好家にとっては巡礼地のような存在にまで高められている。ゲトライデ通りにモーツァルトの生家を訪ねることができるほか、毎夏に開催される有名な「ザルツブルク音楽祭」はモーツァルトの楽曲の演奏がメーンイベントの一つでもある。ザルツブルクでは中世そのままの街の景色に世界のほかのどの土地よりもリアルにタイムトラベルのような体験ができるだけでなく、私のように音楽に明るくない旅人にとってもヨーロッパの街や歴史と一体化した芸術としてのクラシック音楽の一端を理解することができるように思う。ここは世界の旅人が、一度は立ち寄る価値のある土地の一つだろう。

言葉にならない不思議な充足感に包まれながら、市内からザルツブルク国際空港へ知人の出迎えに向かう。そもそもザルツブルクに来る「所用」とは、当地を別件の取材で訪れる知人との現地合流である。その知人は、私が選ばなかった旅程、つまりウィーン国際空港から国内線でザルツブルク空港に到着する予定なのだ。市内から空港までは車で20分程度。市バスでも数ユーロの料金で簡単に行ける。

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ザルツブルク国際空港の正式名称は「ザルツブルク・ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト空港」。小ぶりの第2ターミナルも「アマデウス・ターミナル2」と名付けられているほどで、まさに街と空港をあげてアマデウス全面押しである。運用規模としては決して大きくはないが、歴史と芸術の街の空港にふさわしく、ターミナルや管制塔には力強くも落ち着いたエレガントさがある。この空港からは定期便がヨーロッパ域内を中心に路線を広げる一方で、チャーターフライト、ビジネスジェット、プライベートジェットの発着や駐機が多いことが特徴だ。特に音楽祭の開催時期には、世界中から裕福な音楽愛好家らが連日、直接小型機で乗り付け、華やかな賑わいをみせる。

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ターミナルビル屋上にある展望デッキにはフェンスやワイヤなど一切なく、開放的である。ウェイターとウェイトレスが本格的にサービスしてくれるカフェがあり、デッキにも日よけとテーブルを出している。そこで親子連れやカップルがのんびりとビールとサラダを片手に家族や知人の出迎えや見送りをしている姿には、そこはかとない当地の暮らしの豊かさを感じる。日本の地方空港にももっとこのような落ち着いた空間が増えればいいのに、などと少し羨ましく思ったりもする。

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そしてデッキから望むランプと滑走路の向こうに燦然と輝くのが「ハンガージーベン(Hangar-7)」である。「第7ハンガー」の名称がつけられたシェル型のガラス張りの建物で、エナジードリンクのレッドブル社が所有している。オーストリア出身の同社ディートリッヒ・マテシッツ社長の飛行機好きは広く知られており、本業とは別の「趣味」としてさまざまな航空機を所有。ハンガージーベンはそれらの機材の一部の整備、保管、展示などを行う施設となっている。空港敷地内にあるものの空港一般設備ではなく、レッドブル社が直接運営するものだ。

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知人の到着をのんびり待っていると、ゆるやかにレストアされたスーパーコンステレーション(ブライトリング塗装)やDC-6(レッドブル塗装)が飛来し、誘導路から直接ハンガージーベンに吸い込まれていく。空港で最新鋭機の定期便の離着陸を見慣れている目には、それはまるで晩夏の午後に見る幻想のようである。ここでしか見られない光景がこのように当たり前にある点で、世界の中でもザルツブルク国際空港は特別な存在である。ちなみにハンガージーベンには一般が無料見学できるエリアもあり、カフェやショップも併設されている。ザルツブルクに行く機会のある方は、ぜひ訪ねてみるといいだろう。空港ターミナルとは滑走路を挟んで反対側に位置するが、空港から市内に向かうタクシーなどに立ち寄ってもらうと便利だ。

空港、鉄路、陸路。ヨーロッパではさまざまな交通機関はあくまで各個人の「移動の手段」であることを実感できる。ここではそれぞれの交通機関の価値はインフラとしての効率や運用・利用コストだけで測られるのではなく、生活の中の「スタイル」として評価されるという。そしてそれらの優劣も差異も使い勝手もすべて、利用者個人が決めることだとされている。昨今よく耳にする「旅の選択肢」という言葉。それは本来、提供されるコストやサービスそのものの種類の広がりだけを指すのではなく、このように利用者個人が旅のあり方を選ぶ「自由」そして「可能性」を意味するワードして、もっと理解されるべきだろう。「移動」と「自由」がほぼ同義語とされているヨーロッパの旅文化からは学ぶことは多い。

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滑走路の彼方の遠い山々の間から小型機が姿を現わす。間もなく知人が乗るフライトがザルツブルクに到着のようである。数日間のザルツブルクでの仕事を終えた後、また陸路でドイツに向かおうか、あるいは予定を変更して私もこの空港からのフライトで帰路につくことにしようか。さまざまな選択を自由に楽しむことこそ、旅なのである。 (Written & photographed by Keizo Kay Yamamoto

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