ホセ・マルティ空港のユナイテッド

名称未設定-2

アメリカとキューバが2015年7月、54年ぶりに正式に国交を回復(正常化)して、その後続々と、両国のエアライン各社がアメリカ各地と首都ハバナなどを結ぶ定期便の半世紀以上ぶりの再開を発表していますね。航空サービスの再開によりヒトとモノ(とそれに伴う情報)の交流が拡大して相互理解が深まり・・・と、ビッグニュースになっていますが、キューバはアメリカとの国交を断絶していただけで鎖国していたわけではありません。以前から、カナダやメキシコ、中南米、ヨーロッパ各国からはメジャーキャリアの大型機による直行定期便がバンバン飛んでいて、文化的な魅力に加えて、物価が安く、治安が良く、医療が進んでいるなどの点で、(アメリカ人以外には)かなり開かれた人気のデスティネーションだったことをお忘れなく。日本からもトロントやメキシコシティー経由でハバナやバラデロやサンチャゴ・デ・クーバなどを訪れるのは難しくありませんでしたしね。

そんなキューバを初めて訪れた、1995年。首都ハバナのホセマルティ国際空港の出発ロビーのカウンターにアメリカの大手航空会社のロゴがどどーんと掲出されていて、不思議に思いました。国交も定期路線もないのに、なんで?スタッフに尋ねると、なんと「飛んでるよ」との返事。最初は理解不能でしたが、詳しく聞いてみると、国交がなかった当時も、アメリカ〜キューバ間には不定期のチャーターベースでアメリカの大手エアラインのフライトが飛んでいたそう。たしかに、アメリカ国内にはアメリカのビザを持つキューバ人もたくさん住んでいますし、企業もそれなりの規模で関連事業を行っていたと聞きます。特殊で限定的な需要があったのでしょう。ただ、実際のフライトの運航は大手の機体ではなく、チャーター会社の小型機で、一般が航空券を買うこともできなかったそうです。そのあたりが政治的に複雑な環境だったことを表していますね。でも表舞台の政治の動きとは別に、いわば裏技的にヒトやモノの交流がそのように何十年も維持されていたことは、困難な社会状況の中で民間のエアラインが重要な役目を果たしていたことの証でもあります。

写真は1995年当時のホセマルティ国際空港ターミナル2(当時の国際線ターミナル)の搭乗手続きカウンター(撮影=私、山本)。ほの暗く無味乾燥なロビーや、国営クバーナ航空以外の外国エアラインが一カ所にぎゅうぎゅうにまとめられているのも1990年代の社会主義国っぽい光景ですが、左端にユナイテッド航空の当時の(旧)ロゴが堂々と掲げられているのが見えます。  (written and photographed by Keizo Yamamoto)